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あすにゃん…岡山県出身、大阪府在住。好きなアーティストはフィッシュマンズ、レディオヘッド、サイモン&ガーファンクル、OASIS等。

収録日:2020年6月7日

 

――初めて行ったライブは何でしたか?

 

「高校の同級生にghostnoteのドラムの勇介くん(中村勇介さん)がいたの。その頃はまだghostnoteを結成する前で、だから文化祭とかに出てる普通の同級生だったんだけど、彼らが初めてライブハウスでライブをやるってなって。でも、岡山県ってライブハウスがその当時は3店舗くらいしかなかったのね。だからライブに行く文化も無いし、“ライブって何? ライブハウスって何?”って感じでクラスの友達とかみんなで行って。“わー、バンドってすごい、ライブってすごーい!”ってなったのが初めて。高1か高2の時だった」

 

――その後に今度は自分でチケットを買って行くようになったのはいつですか?

 

「それはたぶん20歳くらいの、大学生になって大阪に出てきた時に、“サマソニとかあるよ~”って言われて。それ、たぶん」

 

――漠然(笑)。

 

「“サマーソニックっていうのにアーティストがいっぱい出るよ~”って(笑)。ホントにそれまで文化が無かったから。よく覚えてないけど、たぶん友達と一緒に、じゃあ行こっか~てふわっとしたノリで行った気がする(笑)」

 

――めちゃくちゃ誰かが観たい! ってテンションで行ったわけでなく?(笑)

 

「では無かった気がする。CDとかTVで聴いてた人たちが生で観られるんだって、すげー! って世界(笑)」

 

――それが今みたいに、フェスではなく小さいライブハウスとかにも足を運ぶようになったきっかけって覚えてますか?

 

「そのフェスの会場とか、あとネットとかで知り合った人たちが、“レディオヘッド来日するんだって、ジャミロクワイ来るんだって”って色々誘ってくれて、フェスとかサーキットじゃない単独のライブにちょこちょこ行くようになった。“どういう音楽が好きなの? あ、じゃあ今度こんなのあるよ~”って、今まで全部それで知ってきた(笑)。行ってみてぜんぜんハマらなかったのもあるけど、相手も私の好みを分かって薦めてくるから。それである年にOTODAMAに行って、その時は1人で行ったんだけどmixiかなんかで“一緒に荷物置いてお互いに番しませんか?”っていうグループに入って。だから全員ぼっちで初めましてなんだけど(笑)。1日寝食を共にしているうちに少しずつ話すようになって、そこで会った人に“じゃあONIGAWARAとかザ・チャレンジも好きだと思いますよ”って薦められたの。四星球のファンの人にだったと思う」

 

――知り合う人に次々と音楽を紹介されていき……。
 

「逆わらしべ長者みたいな(笑)」

――逆(笑)。

「フェスの外タレから始まって、どんどんディープな方へ(笑)。ただ、そうこうしてた時にバンドをやってる友達と知り合ったんだけど、でもその子とはぜんぜん音楽じゃなくて、ゲームとかアニメとか漫画の趣味の合う友達としてだったのね。その子がある日、とあるバンドに加入することになったと。そのバンド自体はずっと以前から活動していて、海外ツアーとかもやっているようなバンドで。“へー、良かったねぇ!”って言ったら、そこで彼女が“一緒に入ろうよ!”って(笑)。2008年の話なんだけど」

 

――それはパートは何で誘われてるんですか?(笑)

 

「ドラム(笑)。私、その頃に趣味でドラムをやってて。しかもその友達も元々ギタリストだったのに、ベースとして加入するって言うし。“私、まだドラムぜんぜん叩けないんだけど”って言ったら“いいよいいよ、ツアーとか行くんだったら趣味が合う人と一緒の方が面白いし!”って」

 

――そんな感じなのか(笑)。

「じゃあ1回会って話をしましょうみたいになって、オリジナルメンバーやレーベルとかと。それで行ってみたら、数か月の猶予を与えられたの」

 

――時間もらえたんだね。

 

「そう、それでリハに入ったり、ギャラはどうするかみたいな話もして。海外ツアーとかになったら3週間とか行きっぱなしになるけど大丈夫? みたいなことをずっと話してた。私もぎりぎり結婚してたくらいの、新婚1年目とかの時期だったし」

 

――めちゃくちゃ新婚では…(笑)。

 

「ホントにどうしようってなったけど、旦那も“やりたいことがあるならやった方が良いと思うよ”って言ってくれていて。元々のメンバーも“良いと思う、○○ちゃんの友達だし、ぜんぜん問題ないよ。ライブしてみる~?”みたいな軽~いノリなの!(笑) “もういけるよ、ステージぜんぜん大丈夫だよ! 上等、上等!”って(笑)。でも実際それをやるってなったら、私は完全に家庭を顧みない奴にならなきゃいけないってことだよなーってなって、すっごい迷って。だからといって、やりたいのも本当だし。とにかく私もドラムをちゃんとしようと思って、事務所がお金出してくれてパーソナルトレーナー付けて、ガチで練習したの。それがその半年間くらい。結婚したばっかりだったからパスポートの名前が旧姓のままで、“ビザ取るから変えてください”って言われて、それで変えたくらいなのね。もうアメリカツアー出ます! みたいな感じになって、“ホントに行くんだ! きゃーどうしよう! 私の人生ここからどうなるのぉ~!?”って(笑)。今まですごいのほほんと暮らしてきたわけだからさ」

 

――本当にほとんど決まってたんだ。

 

「でもその時そこに、ずっとやりたかったって人が現れたんだよね。それまで別のバンドで叩いててドラマーとしての経歴もある人で、今から入ろうとしているバンドのことも前から好きだったっていう人が。その人だったら知名度もあるし、パッと入ってすぐ叩ける、ツアー行くってなったらいつでも出れる。それはもう、そっちの人だなって思って、私は引いたのよ」

 

――最後の最後で決めきれなかったというか、自分が絶対に叩くっていうところにはいけなかった?

 

「“絶対にやりたいです!!”って、私は最後までならなかった。やっぱり加入するってなったら、ぐちゃぐちゃになるというか、女性としてのストレートな道は進めなくなるっていうことだから。その友達やオリジナルメンバーの生活を知ってたから、自分もそういう生活になるのが見えちゃったのね。海外ツアーに出て、30日間で25本ライブやる。Tシャツをもう1日着るか洗うかの判断は、ペロって舐めて塩気がしたら洗うみたいな(笑)」

 

――過酷(笑)。

 

「ただ、行っちゃえば楽しめるっていう自分の性格も分かってた。でも、今はこれで正解だったかなって、思わないこともないような気もするから(笑)。良かったのかなって」

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