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  • asami1837

オオタシンイチロウ インタビュー


オオタシンイチロウ…1983年、富山県出身。カメラマン。様々なライブ写真・アーティスト写真の撮影の他、近年はセカイイチとFoZZtone、小田和奏、LUNKHEADなど多数のミュージックビデオを監督として撮影・編集を手がける。

収録日:2015年3月17日(火)21:00~

◆写真部に所属しながらバンドをやっていた高校時代、「自然と写真やるなら音楽系かなって」。

――初めて観に行ったライブって何でしたか?

「それをね、訊かれるって言われてずっと考えてたんだけど記憶が無いんだよね。何だったっけなって。ホントに自分の中で記憶があって積極的に観に行ったライブは、たぶんSPEED」

――いくつの時ですか?

「中3の時。俺、地元が富山なんだけど、金沢の産業展示館4号館に観に行った。友達がその当時ファンクラブに入ってて、一緒にチケット取ってもらって。で、体育祭の練習を午後からサボって友達と3人で行った。」

――でも、それ以前にもライブに行っていたかもっていうお話なんですよね?

「行ってるんじゃないかなって思ったんだけど、たぶん親に連れられてなんか観たかなってくらいで。だから…SPEEDでいいかな(笑)」

――SPEEDを観たのはその1回だけですか?

「うん、SPEEDのライブはそれだけだったね。その後は…モー娘。、福山雅治、とか。ぜんぶ金沢の産業展示館」

――そうか、金沢まで来てくれる人じゃないと観に行けないですもんね。

「そう。その後に富山にオーバード・ホールっていう大きいホールができて、地元にも色んな人が来るようになったけど、その頃にはもう東京にライブを観に行くようになってたから、そこにはあんまり行かなかった。モー娘。観に中野サンプラザとかに行ってたね」

――それって、いくつくらいの時の話ですか?

「高2、高3とか」

――高校生で遠征…!!

「1人で夜行急行とか取って、1人で観に行ったりとかしてた。1人で東京でライブ観て1人で楽しんで1人で帰ってた。高2から…20歳くらいまでかな、ハロープロジェクトのファンクラブ入ってたもん」

――写真はいつからだったんですか?

「写真は…15歳くらいからかな。ちゃんと撮り始めたのは16とか。高1から高2になる時期」

――きっかけは何だったんですか?

「高1の時にクラスで仲良かった友達が写真部で、それまで俺は部活入ってなかったからその子にくっついて写真部に出入りするようになって、それで高2から写真部に入った。もともと中3くらいの時に親父からカメラを譲ってもらってやってはいたんだけど、その頃はカッコ良いなって思って触ってたくらい。」

――本格的にやってみようと思ったのはいつからだったんですか? 仕事につながっていくような。

「東京出て来て、専門学校に入ってからじゃないかな。写真やりたくて東京出てきたんだよね、ハタチの歳に」

――そうなんですね。

「大学行かねぇしやりたいこともないから、とりあえずバイトしながらダラダラやるかっつって高校卒業して1年間バイトしてたんだけど、そのバイト先が結婚式場だったのね。そこのカメラマンの人と仲良くなって、面白そうだなと思って。で、その人に写真やってるならやればいいじゃんって言われて、じゃあやるかーってなったんだよね。 “入学金は払うから行かせてくれ、学費払ってくれ!”って両親に言って。“学校見極めるのにちょっと一緒に東京来てくれ”って言って学校決めた。そうやって、写真やりたいから東京に出てきた感じ」

――それがライブ写真とか音楽の方向に転ぶのは…?

「俺が音楽やってたから」

――え!?

「バンドやってたから、中学、高校。ギターボーカルで」

――コピーとかですか? 軽音部? でも写真部だったんですよね?

「中1の時に親にギターを買ってもらったの。小5くらいからミスチルを聴いていたから、じゃあギター始めてみようかなって思って。あと、すごい近所に住んでた幼馴染の友達がいて、そいつの親父さんがベンチャーズのコピーバンドをやっていて。それで、その友達の家にバンドセット一式あったから」

――ドラムも!?

「ドラムも。で、アンプ3台とか4台とか。ベースもエレキギターもあるし、なんでもある家だった。それこそ車庫に全部」

――ああ、いわゆる田舎の(笑)!

「そう、田舎だから(笑)。夜そんなに遅くなければ音出してても全然怒られなかったし、それでバンドやってたの。中学の時は分かりやすくGLAYのコピーとか、そのうち俺がジュディマリ好きだったからジュディマリのコピーバンドやりたいって言って、ルックスの良い女の子にボーカルのスカウトという大義名分で声を掛けるというナンパをしつつ」

――(笑)。

「高校はみんなバラバラだったけど、何かの大会があって“思い出に出ようぜ”ってなって、高3の時にその大会に出たのがバンドは最後かな。だから音楽は好きだったし、自然と写真やるなら音楽系かなってなった感じ」

◆新宿の路上から始まったカメラマン人生、縁が縁を呼びライブ写真からミュージックビデオまで。

――初めてライブを撮ったのっていつだったんですか?

「えっとね、最初に撮ったのは……新宿で路上ライブしてた人」

――それはどういう経緯だったんですか?

「勝手に撮った。まだ学生の頃ね。勝手に撮って、後日写真焼いて持って行って。“こないだ写真撮らせてもらってたんですけど、これからも撮らせてもらってもいいですか?”って。毎週日曜日に新宿のアルタ前とかで路上ライブやってた人たちで、2人組の…分かりやすく言っちゃうと19とかゆずみたいなネオフォーク系のグループ。そこで仲良くなって、その人たちに連れられて行ったのが初めてのライブハウスかな。“今度ライブハウスでやるから、ちょっと撮りに来てよー!”って言われて、原宿のRUIDOに行った」

――へー!

「その辺で出会った人たちは今でもつながりがある感じ。RUIDO界隈。今も渋谷にRUIDO K2ってハコがあるし、池袋にK3、新宿にK4ってRUIDOの系列店がある。それがライブハウスに行った最初。ライブハウスっていう文化が富山に無かったから」

――初めて行ったのが撮影しに行ったってことなんですね。

「そう、うん。その人たちはそのうちグループとしては活動休止して1人でやるようになったんだけど、そうなってからもずっとくっついて撮ってた。ショッピングモールのイベントスペースみたいなところでのライブを撮りに行った時に、BG MAGAZINEっていう、当時あった音楽フリーペーパーの編集の人と出会って。適当に作った名刺を持ってたから“今カメラやってるんですけど”ってその人と名刺交換した。21歳くらいの頃かな、まだフィルムのカメラでやってた時。“仕事下さい!”って」

――ああ。

「若かったから。“なんか仕事下さい!”って。“撮りたいです!”って。そうしたら“写真見たい”って言われて、見せたら“ふーん”みたいな反応だったんだけど、“デジカメ持ってるの?”って訊かれて。持ってなかったんだよね、その時。“フリーペーパーだからフィルム代出せないけど、デジカメあるんだったら仕事紹介できるかも”って言われて、その週末にデジカメ買った」

――すごい!

「金も無かったけど、“仕事くれるっていう人がいるからデジカメ買ってくれ! 金貸してくれ!!”って親父に連絡して。それで、買った直後に“デジカメ買いました。仕事下さい!”ってメールしたの。“じゃあどれくらい撮れるか見たいから、1回撮ってよ”って言われて、MUSIC ON! TVが毎月やってたRookiesっていう…今は無くなっちゃった渋谷のBOXXっていうハコでの生放送のライブイベントを撮りに行った。最初撮ったら“ああ、撮れるんだね。じゃあ毎月やってよ”って話になって。それがカメラで金を貰ったいちばん初めの仕事」

――へー!!

「だから、誰かの下についてやったとかでもないし」

――そうか、いきなり個人で始めてるわけですもんね。

「そのミュージシャンの人にくっついてライブ行ったら編集の人に出会って“仕事くれ”って言って。仕事もらってなんとなく気に入ってもくれて、じゃあ続けよう、みたいな(笑)。ちなみにその編集の人とは今でも付き合いある。更に言うと、そのMUSIC ON! TVのイベントでLUNKHEADもセカイイチも撮ってる」

――すごい!!

「2005年か。しかもその時、ランクとセカイイチの対バンだったんだよね。FoZZtoneも実はその次の月とかくらいにライブがあったんだけど、予定が合わなくて撮ってなかった。でも、名前はその時から見てた」

――むしろ、フォズを撮り出したきっかけって何だったんですか?

「HANDSOME(水野創太/EdBUS、小野雄一郎/butterfly inthe stomach、渡會将士/FoZZtoneからなるグループ)」

――ああ!

「きっかけは小野君。butterfly inthe stomachを撮るようになった流れから、今度HANDSOMEも撮ってよみたいな話になって。HANDSOMEのレコーディングしてるところに行って、そのレコーディングを横目に見ながらいちばん初めの車のアー写のラフをバーって描いた。“歌うまいな3人とも”って思いながら」

――(笑)。

「そのラフ通りに撮ったら気に入ってもらえて、“じゃあHANDSOMEはオオタ君に撮ってもらおう”って空気になったの。で、ふわ~っと何かのタイミングで田代さん(FoZZtoneマネージャー)を紹介されて、“HANDSOMEのアー写、フォズのお客さんからも評判良いよー”って言ってもらえて。でも、本格的にフォズでやりたいって言ってもらえたのは『VACANCE』のPV撮ってからかな。渡會さんがすごい気に入ってくれて。」

――映像はあれが初めてですか?

「初めて(笑)。それも、さっきの話みたいな感じで“HANDSOMEのミーティングやってるからおいでよ”って言われて行って、色々話聴いて、したら“オオタ君、映像撮れないの?”って渡會さんに言われて。“撮ったこと無いけど撮れると思いますよー!”って」

――人生そんな感じですよね(笑)。

「その次の日とかかな、今も使ってる映像撮れる一眼レフを買いに行った」

――流石!!

「買って、その数日後くらいに渡會さんとガレージで会った時に“映像撮れるカメラ買ったんですけど、PVの話どうなってるんですか~?”って言ったら、“あぁ! 忘れてた!!”みたいになって(笑)。で、じゃあやんなきゃねって撮ったのが『VACANCE』。内容もあんまり決まってない状態で、“朝何時にどこどこ集合ね”って。俺ねー、あの時足怪我してたの(笑)」

――え(笑)!?

「足、超引きずりながら撮影してた(笑)。浜辺とか、足怪我してる時に歩くもんじゃねぇなって思いながら。それでできたのがあのPV。で、今度こそフォズでなんかやろうって話になって1年越しに『リトルダンサー』。ずーっと“何かやりたいね、何かやりたいね”って言ってくれてて、その時に声かけてくれた。それからフォズの現場にちょこちょこ入るようになって、“ライブも撮れるんだったらライブもお願いしようかな”みたいな話になり…って感じかな」

◆「写真の原点の話になってしまうし、それは俺の哲学なんだけど。報道的であって欲しいな、と」

――ライブ撮る時って、何にいちばん気を使いますか?

「んー……えー、何だろうな。何だろう」

――割とその場は夢中で撮る感じなんですか?

「いや、夢中で撮るとあんまり良いことが無いっていうのが割とあった。えっとねー、何だろうな。なるべく個人的な感情は入れない」

――そうなんですね。

「もちろん自分の美意識的なものはあるけど。“この角度がカッコ良いんじゃねぇかな”とか。でも、どれだけ客観性を持って撮影できるか、みたいな。だから俺、よく言われるんだけど、“オオタ君の作品”とかね、写真のことをそう言われるわけ。俺ね、写真に関しては〝自分の作品〟って言われることがいちばん…違和感」

――ああ。

「写真の原点の話になってしまうし、それは俺の哲学なんだけど。報道的であって欲しいな、と」

――そこなんですね。

「そこにいなかった人たちにどう伝えるか、みたいなイメージで撮ってるから…客観的に。あんまり我とか個が出ないように」

――人が観た時に、その人の感情だけで観れるように?

「それでも“オオタさんの写真ですね”とか言われるんだけどさ。極力…そうだな、大事にしてることっていう点で言うと、いちばん大事にしてるのは、あなたたちよく言ってるけど、〝現場の人の邪魔にならないこと〟」

――はい(笑)。

「けっきょく、そこに観に来ている人を邪魔してまで撮ろうとは思ってなくて。良くないことだと自分で思ってるんだけど、例えば仕事頼まれる時に何に使うんだろうなって訊いて、“媒体出ますよ、Webに載りますよ”って言われるわけ。“これに使うので、こういう写真お願いします”って、裏話だけど言われたりもするわけ。そうしたら、Webで何枚か使う時に“どういう写真が1枚目に来るかな”って。どういう写真があったら記事映えするかなって、そういうことを考えながら撮るの。だから誌面…今ならWebだけど、昔だとフリーペーパーとか、その媒体の中でどういう誌面構成をするか分かんないけど、断ち落としにするんだったらフレーミングいっぱいいっぱいで撮れないし…とか、そうやって考えながら撮る感じ」

――ああ。

「だから、それを考えてると“ここの角度、絶対カッコいいからここで撮りたいんだよな”ってことよりも考えないといけないことがある。あんまり良くない、面白くないよってニュアンスでそれを人に言われたこともあるけどね。“媒体で使うの考えながら撮ってるよね”って」

――職人気質ですよね、芸術家肌って言うよりも。

「だからね、俺ね、アーティストって言われるとイライラするのね。“カメラマンってアーティストじゃん”って言われると。なんだろうな、スチールに関してはその印象が無いから。例えばアーティスト写真撮る時もぜんぶ計算してる。なんとなく、で撮りたくないからすげぇ話し合うし、何でこうなのかとか説明できない人とはなかなか仕事が進まない。“○○っぽく撮りたいです!”とかだと」

――もっと理詰めであって欲しいというか?

「まぁ理詰めというか…理詰めなんだけど、簡単に言うと。何だろうな、“こういうアルバムにします”“こういうアルバムができました”ってなって、その音源のリリースタイミングでアー写撮りたいですって話を貰ったとして。じゃあ“アルバムの音源どんな感じなの? 音聴きたい”って言うし、音聴いてみて、“じゃあリードトラックはどれになるの? どういうところで撮りたい?”って1回全部聴いて。“でもそれだとこうだよね、あと次のリリースまでどれくらい空くかな?”とか」

――その先!!

「“じゃあこのアー写、どれくらいの期間使うかな?”」

――ああ!

「この冬の格好してる写真いつまでつかうのかな、とかまで考えたりもする。お客さんってどういう層なの? こういう姿を観たいお客さんにどう見せていくのか。そのままで行くのか、裏切っていくのか。裏切るにしてもどういう裏切り方をするのかを全部考えて写真撮る。のが、好き」

――へー!

「俺ね、ライブ撮るカメラマンですっごい好きな人いるの」

――古渓一道さんですよね。

「そう、古渓さん。すっごい好きで。本ッ当に、あの人の写真とか、あの人のアーティストとの距離のとり方とかが…いちばん理想に近いかな。一時期She Her Hersでドラム叩いてた関口孝夫に…シーハーズは古渓さんが撮ってたから、“オオタさんのスタンスって古渓さんに似てますよね”って言われたことがあって。その時は“もー俺、お前のこと絶対ずっと応援するし~”って思ったね(笑)!!」

◆「“小説くらい行間の感じられる写真が撮れるようになったら写真展やります”って言ったら“お前、傲慢だ

な!”って」

――そんな職人気質のオオタさんとしては、今後やってみたいこととか挑戦してみたいことってあるんですか? 

「……うーん、無いって言ったらあれだけど…無いことはねぇんだろうけど。うーん…、それは今、割と“何して行こうかな”みたいなのはあるかな。……逆に言うと、“こういう写真が撮りたい!”みたいな感情が、いつか俺に出てくるのかなっていうのは思っている」

――いつか我を出してまで撮りたいものが。

「うん。自分の作品とは何なんだろうねっていうのはずっと考えていて。何が撮りたいんだろうねって」

――ライブ写真に限らず?

「ライブ写真は、ライブ写真。それ以上でもそれ以下でもなくて。誰のために撮ってるかっていうと、その場にいなかった人のためでもあるし、その場にいた人のためでもあるし、アーティストのためのアーカイブでもあるし。それじゃあ俺は自分のために撮る写真ってあるのかなーっていうのをずっと考えてる。誰かのために何かをやってるだけだと行き詰るし…、まぁ実際、今とか行き詰ってるのかもしれないし。そこが抜けると良いなぁと思いつつも…。俺、忙しいの好きだから仕事詰めちゃうんだよね。趣味も無いのよ、正直。言うたらアイドル観に行くくらい。まぁアイドルの仕事はしたくないなとか思うから、そういう意味では趣味なのかなと思うけど。他に旅行に行きたいとかそういうのもないし」

――仕事、お好きですよね?

「いや、仕事が好きというよりも、忙しくないと不安。今言ったようなことと向き合わないといけなくなるのが面倒くさい。結構ネガティブだけど(笑)。だからいつか、自分が自分の名前で写真展をやるとか、そういうことが5年先なのか10年先なのか一生無いのか分かんないけど、でもそういう機会があったら変わってるんだろうねって思う」

――自分の名前を背負えないってことなんですかね?

「自分の名前を背負えないっていうか…ああ、これどんどん変な話になってくる(笑)。写真っていうメディアに対して……写真ってメディアだと思っちゃってる、からかな」

――ああ…。

「〝写真っていうメディア〟って言ってる時点で、たぶんそこなんだと思うんだけど。もちろん好きな写真家とかもいっぱいいるよ。アラーキーとか好きだし、佐内正史とか、他にも海外とか好きなカメラマンたくさんいるのね。そういう人たちが撮る何でもない写真観て“ああ、良いな”って思うけどさ、何でもない自分が何でもない写真撮って作品になるわけねぇじゃんとも思う。俺、同世代の写真家ですごい尊敬してる子が1人いて。『写真と人』っていうフリーペーパーを全部自費で発行してる中村美鶴っていう女の子。その子とは同い年なんだけど、同世代の中で写真家だなってイメージ。ミュージシャンを撮っていたりもするんだけど、“ああ、中村美鶴の写真だね”って。観て思う、画がある。その感覚があるのはやっぱり“あいつすげぇな”って思う。……写真って、もう逃げ場が無いなぁ…って」

――逃げ場。

「だってさぁ、60分の1秒とか125分の1秒とかっていう、一瞬じゃねぇけど、そういうごく短い時間をさ、残してるわけじゃん。前も後ろもないし、その短い時間だけがそこにあって、いくら補正をかけようが何しようがそこにあったっていう事実はもう変わらないし、それを撮ったっていう事実も変わらない。それに対して何か口を挟むことってある? タイトル付ける? って」

――これ以外に何がいるの? というか…。

「そう。タイトルを付けるって、もちろんそうであるべきなんだけど、とても恣意的なことじゃない? “こういう風に観て下さいよ”ってことで。でも、それって…それ以上でもそれ以下でもない事実を恣意的に見せて何が面白いのかなぁ…って。新聞が右か左かって言ってるようなもんじゃないかなって。例えば“今日は晴れた”っていうのはさ、ある人から見たら嬉しい文章かもしれないし、でも雨が好きな人にとっては悲しい文章になるかもしれないじゃない。でも、“今日は晴れた、嬉しい”って一言付けると、その晴れて悲しい人にとってはさ、もう嘘だし。俺、もともと小説読むのがすごい好きなんだけど、なんだろうな、同じ文章を100人が読んで100通りの画が浮かぶ物語とは違うわけで。1個の厳然たる事実を突き付けた時にさ、その…タイトルだったりキャプション付けることってすごいエゴイスティックだなって思うし。そういうことに対してあんまり…興味が無い(笑)。アー写撮ってる方が楽しい。だって、そう見せるための写真だから」

――もともと完全にイメージがある写真だから?

「そう。アー写とかはイメージを共有するためのものだけど、例えば自分で雲の写真を撮りました。その写真に何てだってタイトル付けられるけど、“悲しい雲だね…”とか言い方ひとつで、“ああ~、この人すごい悲しかったんだろうな~~”って、つまんねぇなぁ~って。そもそも、カメラが無いと何もできないわけじゃん? 写真家とかカメラマンなんてさ」

――道具ありきというか。

「その時点で精神性とか言われてもピンとこないんだよ、俺。それを通さないと表現できないわけじゃん。ミュージシャンは喉があれば歌えるし、歌えなくても叩いてリズムが刻めるしさ。究極なこと言うと静止画の芸術の絵画なんて、指噛んで血出したら絵描けるじゃん。写真は何ができるの? その身ひとつで。その身ひとつで何もできない時点でもう不純だしさ、不純な上に不純を重ねてどうすんだろうなーって思っちゃう」

――それでも写真を選んだっていうのは…。

「自己表現の手段としては選んでない」

――ああ。

「高校の時に自分で自転車ガシャーン倒して、それ撮って、それっぽいタイトルつけて写真展に出したりしたよ。何が面白いんだろうなって思って。今となっちゃ恥ずかしいしさ(笑)」

――割と早い段階でその考えに到達してますよね。

「俺は東京に出てきた時から、仕事としてやりたいって思ってたし。俺が本当にそういうことをやるようになったら、よっぽど人間性変わったんじゃない? って思う」

――自己表現に目覚めたら?

「うん。でも、ずーっと今みたいなことやっていくんだろうって思うし、写真展とかって言われてもピンとこない。1回butterfly inthe stomachの写真展やったことあるけど、あれは完全に〝butterfly inthe stomachのカメラマンの俺と、butterfly inthe stomachのコラボ企画〟っていうだけであって、俺の写真じゃなくてbutterfly inthe stomachの写真を観てもらおうっていう感じ。その写真展のタイトル付けてよって言われた時は悩んだね。“ああー…、無理ですー……”って思った」

――すごい徹底してますよね。

「その時は悩みに悩んで、『永遠の一瞬』っていうタイトルになったの。それは俺の一瞬なのか観る人の一瞬なのか、やってた人たちの一瞬なのかも分かんないけどさ。でも、どうとでもとれないと嫌だなって思って。1回、それでケンカしたことあるもん、40歳くらい上のカメラマンの先生と」

――すごい。

「バイトで紹介されて、“1週間この人のアシスタントで一緒に地方行って来い”って言われたから引き受けたの。で、やった初日にその先生に“君、どんな写真撮ってるの?”って訊かれて色々話して。で、イラついて(笑)」

――(笑)。

「25歳くらいの時ね(笑)。傲慢だって言われた。“僕、写真展も興味無いです”って言ったら“じゃあ君はどういう写真だったらいいんだよ”って言われて、“小説くらい行間の感じられる写真が撮れるようになったら写真展やります”って言ったら“お前、傲慢だな!”って(笑)」

――“小説くらい行間の感じられる写真”って、すごい表現…!!

「そっからその先生と残りの期間、車ん中ほぼ無言だったから(笑)! 地獄のような1週間だった!! だから俺、映像が好きなのは、写真より行間があるからかもしれない」

――映像の方が好きですか?

「映像だったら作品になるのかなって思う。だから、自分が映像の方に来たのは来るべくしてきたのかなとも思う」

――オオタさん的には、写真は媒体であり映像は自己表現であると?

「いや、自己表現とまでは言わない。自己表現をする余剰はあるよねって」

――自己表現したいって意思はありますか?

「無い」

――(笑)。

「だって、無いっていうか、“知りたい?”って思う(笑)。観たい? 俺の自己表現」

――クレジットで自分の名前が出て嬉しいとか言うのも無いですか?

「あー…、そうね。親孝行だって思うくらい(笑)。自己顕示欲が全くないわけじゃないし、、有難いなと思うし。名前出しても恥ずかしくない写真だと思ってはくれてるのかなって」

◆「“楽しくやろうぜ!”って嘘っぽいなって思う。楽しくなくてもいいけど腐らずやろうぜって。」

「俺が期待してるバンドとか喋った方が良いんじゃないの?」

――ああ、是非是非!

「俺が今いちばん期待してるミュージシャンは、小宮章太郎(TRUMAN)」

――小宮君とはいつからの付き合いですか?

「章太郎は2年くらいかな。章太郎はクソ生意気でクソだけど…ここ使ってね! 歌は上手い」

――(苦笑)。

「TRUMANはあいつが今までやってきたバンドの中でいちばん良い。だから…“歌わないなら死ね!”って思う」

――誉めてあげて(笑)!

「誉めてんじゃん!!」

――心折れるから(笑)!!

「えー、じゃあもっとライトな言い方する。こないだTRUMAN初めて観て…章太郎はちゃんとやりたいことをできるバンドをやれてるんだなって、思った。頑張って、欲しい」

――(苦笑)。

「アイドルだったら、lyrical schoolを熱心に推しています」

――ハイ(笑)。

「まあ結局、みんな腐らずにやろうよ。俺も含めて。って、思う」

――ああ。

「“楽しくやろうぜ!”って嘘っぽいなって思う。楽しくなくてもいいけど腐らずやろうぜって。楽しいか楽しくないかでやるやらないを判断するのは違うと思うんだよね。でもね、俺ね、1個イベントやりたいのがあるんだよね!」

――なんですか?

「とりあえず、えみそん(おかもとえみ)をフィーチャーしたい」

――(笑)。

「俺、えみそん大好きおじさんだからさ」

――おじさんになっちゃった(苦笑)。

「もう、えみそん……やりたいねぇ。えみそんとー、関取花ちゃんとー。なんか、弾き語りのイベントをやりたい

かな。単純に俺が聴きながら酒飲みたいなってくらいの。俺はブッキングだけして、好きな子たちがずっと歌ってるのを聴いてたい」

――いいじゃないですか、是非やって下さいよ。

「誰が良いかな~、とりあえずえみそんがトリ。あとは浩樹(斎藤浩樹/paraboLa)とか。俺が愛を注げる若手たちと、すっごい少ない人数で…談話したい」

――それはただの飲み会なのでは!?

「談話したい! これ絶対記事にして! えみそんと、花ちゃんと、浩樹と、あと誰が良いかな~」

――そんなの記事にしなくても普通にオファーすればいいじゃないですか(笑)!!

「記事にして! 誰かな~、えっとね、古ちゃん(古澤正弘/full)!!」

――オオタさんが声かければ皆さん集まるじゃないですか(笑)!!

「究極のこと言うと、えみそんも古澤君も声かければウチ来るもん! ウチで歌ってもらうくらいならできるけど、“こんな素敵な歌うたう人たちいるんだよ、一緒にお酒飲もう”って言いたいだけなの、俺は! やらないけど!!」

――これだけ喋っておいて(笑)!!

「まぁ、やるなら俺の誕生日だな。写真のことはぜんぜん喋らないし、何もやらないけどね(笑)! やんないけどね(笑)!!」■


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